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引用サイト:大紀元
中国崑崙山の仙人(6) 「地龍」を掘る
 平先生との再会は、私が5歳の時であった。大雨が降るある日、平先生はいつもの破れている麦藁帽子を被って突然現れたが、家の中には入らず、敷居に立っていた。靴底の刺し縫いをしていた母はすぐに平先生だと気付き、急いで屋内に招き入れた。お茶を注いで、深々とお辞儀をした後、命を助けてくださった恩人だと言いながら、私にひざまずいて礼をさせた。平先生はすぐに片側へよけ、隅に座りながら、気にしないでくださいと言うばかりだった。
 ある日、暴風雨の後、平先生は私と手を繋いで「地龍」を掴みに行こうと話した。「地龍」というのがいったい何なのか、私にはよく分からなかったが、遊びに行くと聞いて、喜んでついて行った。
 平先生について走ると、まるで飛んでいるようで、疲れを感じなかった。彼は私を連れて、場所の名前も知らないいろいろな場所へ行った。多くはとても美しい山地で、高くて大きいマツの木や、巨大な白い鳥を見に行った。それらは私が一度も目にしたことのない未知の世界で、数年後、当時の記憶を思い出しながら村の周辺をあちこち回ってみたが、再び見つけることはできなかった。
 あるところに着くと、平先生は足を止め、地面の上の何かを探した。彼は「龍の穴」を探していると言い、一つ見つかったら、その上の土を掃きだした。すると、一本の親指ほどの太い穴が現れ、中から水が滲み出ているのが見えた。そして、彼は頭陀袋の中から陶瓶を一つ取り出し、瓶の口を穴の口に向けてひっくり返し、何かをつぶやくと、一匹のドジョウが泥の地下から登ってきて、瓶の中へくねくねと潜り込んだ。私はこのとき知ったのだが、平先生の言っていた「地龍」というのは、ドジョウのことであったのだ。私の村では、秋の収穫期になると水田にいるドジョウが肥えて、籠で捕まえては母に持っていったものだ。私は母が作ってくれるドジョウと豆腐の蒸し料理が大好きで、思い出すと涎がでてきた。私はこれまでドジョウは水田で捕まえていたので、陸地からも取れるとは思ってもみなかった。

 しかし、このドジョウは私が見た他のドジョウに比べると、少し異なるところがあった。口元には、とても長いひげがあって、コイのような尾をもっていた。時には、私も「龍の穴」探しを手伝った。その時は感覚だけで「龍の穴」を見つけることができて、平先生にも褒められたが、なぜか今はそういう感覚はなくなっている。

 「龍の穴」がとても深く、「地龍」がなかなか出ようとしない時には、彼は穴の口の周りに、いくつかの奇怪な図形を描き、何かしらの口訣を呟く。そして、身の回りの刀を取り出して、地面を深く掘ると、地下から噴水のように水が湧いてきて、その後にはいつも一匹の、タウナギほど長い、赤色のドジョウが水の中で揺れているのが見える。

 彼が一本の赤い草を取り出して水に入れると、ドジョウは身をくねらせなくなり、静かに草へ向かって泳いでくると、それを掴んで、大きな缶に入れて封をした。

 「地龍」の狩りが終わり、晩ご飯を食べに家に帰ると、もう夕方になり、遠くから母が私たちを探しているのが見えた。

 家に帰った後、美味しいドジョウ料理が食べたくなり、掴まえてきたドジョウのことが気になったが、平先生には聞けなかった。二日後、平先生は別れを告げて我が家を離れた。彼が離れる前に、父は祖父の遺言を思い出し、既に梱包しておいた骨董を取り出して、彼に受け取るよう頼んだ。彼が断ると、父はこれが祖父の臨終の遺言であり、受け取らないと祖父にすまないと言った。仕方なく、最後に平先生はその中から一つのお守りの錠を選んだが、他は一切断った。

 このお守りの錠は、「千年鉄」で造られていて、祖父も、父も、私も、みんな小さいころには、つけたことがあったらしい。父の話によれば、「千年鉄」というのは、古墳の中から掘り出した、溶けない鉄のくぎのことである。一般の棺おけと、それを造る時に打った鉄のくぎなどは、古墳の中で時間の経過により、腐って溶けてしまうが、一部の鉄のくぎは溶けずに、色だけが黒く変色する。私の先祖はこれらの黒い鉄のくぎを集め、錠の形のお守りを鋳造し、首に掛け、身を守ったのだ。

 この錠は黒色で、何年経っても錆びることなく、いつまでも造られた時のままであった。平先生は、このお守りの錠には、一種のとてもよくないメッセージが含まれているため、祓ってくれると話したが、値打ちのある他のものは一切受け取ろうとしなかった。父は仕方なく、これらの骨董は一時預かっておくので、いつ取りに来ても構わないと言った。

 四、応霊

 その後、当時のドジョウ狩りのことを平先生に聞くと、彼は大笑いしながら、それはドジョウではなく、本当の野生の龍だと話した。その話は私を驚かせた。想像の中の龍は、頭に角があり、巨体で比類がなく、天に昇ったり、地に入ったり、行くところには荒れ狂う風と、雷鳴が伴うべきであったが、まさか一匹の小さなドジョウが龍になるとは・・・。

 平先生は笑いながらこう話した。龍は、私たち人類の空間の生き物ではなく、大昔の前には自由に人類の空間に出入することができたが、人類の空間がだんだん純粋さをなくし、汚染されてきたため、この物質空間に入れなくなってしまった。入ると、龍は落ちてしまい、すぐに腐って死んでしまうのだ。

 また平先生は、生命は輪廻すると話した。宇宙の全ての生命は、必ず自分の生命を維持する輪廻がなくてはならず、その輪廻が途切れると、生命も終わるという。宇宙全体にも輪廻があって、人類は、宇宙の最低の一層である三界の中心にあるため、宇宙の最低の一層の輪廻の作用を果たすのである。多くのものは、人類の空間で、それの「根」にあたるものがなくてはならず、さもなければ、輪廻ができなくなり、死んでしまうのだ。木のように、「根」がなければ、栄養と水分の巡回ができなくなり、枯死してしまうのと同様だ。

 実際のところ、この「地龍」は正に龍の「応霊」である。言い換えれば、龍が人類の空間に来たときに形成する、世を忍ぶ神秘的な形なのだ。
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