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| 第九評 中国共産党の無頼の本性 |
大紀元一連の社説 |
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【紹介】 : 序文
百年余りに亘って世の中を騒がせてきた共産主義運動が人類にもたらしたものは、戦争、貧困、血生臭さと専制だけであったが、ソ連と東欧の共産党の崩壊により、この世界に害を及ぼしたでたらめな芝居も前世紀末には終焉へと向かい、今では、庶民から党の総書記に至るまで、共産主義のたわごとを信じる人は誰一人いなくなった。
「君権神授」でもなく「民主選挙」でもない共産党政権は、自らが生存の拠り所としていた信仰が完全に消えうせた今日、その執政の合法性もかつてない挑戦を受けることとなった。
中国共産党(中共)は、歴史の潮流に従ってその表舞台から退くことを拒み、逆に数十年に亘る政治運動の中で蓄積してきた、邪悪の粋を集めた各種の無頼手段を振るうことにより、合法性を探り、起死回生を図るための狂気のごときあがきを始めた。
改革にしろ開放にしろ、中共の目的は、ただ単に集団の利益と独裁政権を必死に維持することである。中国のこの20年間の経済発展、つまり、中国人民が依然として厳しい束縛の中で辛労を重ねて獲得した果実は、中共に刀を捨てさせることができなかったばかりか、逆に執政の合法性の資本として奪い取られてしまい、その一貫した無頼行為をいっそう人々を惑わす欺瞞的なものにしてしまったのである。
最も恐れるべきことに、中共は全力を傾けて民族の道徳的基盤を破壊し、全ての中国人を大なり小なり無頼の徒に変えて、共産党のために「時代とともに変化する」生存環境を確保しようと企んでいる。
民族の長期に亘る太平と安定のために、そして中国が一日も早く共産党支配から脱却し、民族の栄光を取り戻すためにも、共産党はなぜ下劣な行為をするのかということ、ならびにその無頼の本質を明確に認識することがとりわけ重要となった。
一 共産党の無頼の本性は全く変わっていない
(一) 共産党の改革なるものは誰のためなのか?
(二)共産党がなくなったら中国はどうなるのか?
(三)動乱の本当の源は誰であるのか?
二 経済発展は中共の供え物となった
(一) 人々が苦労して培った成果を盗用
(二) 短絡的行為が後発劣勢をもたらす
(三) 中共の経済発展は悲惨な代償を支払う
(四) 中共の農民に対する詐欺行為
(五)経済利益で西側を脅かす
三 中共の洗脳術は、「赤裸々」から「精緻化」へ
四 中共の人権偽装
(一) 権力を奪い取り民主を求めるためであったのが、独裁統治と人権偽装へ
(二)「法律」を手段に「文明の衣を着て」無頼行為を行う
(三)十数億の人民を拉致する「人質無頼漢文化」
(四)飴と鞭を与える。「自由」の恩賜から、より酷くなった弾圧まで
五 中共の無頼漢としての様々な面構え
(一) 虚栄を求め、国を売る。統一のためというのは口実で、実は国土を売り渡したのである
(二) 道徳的抑制のない政治上の無頼漢
(三) 抗日戦争からはじまり、反テロ闘争に到る虚構の上に、陰謀詭計を図る
(四) 表では敬い影では裏切ると言う手口で、真剣に形式だけ整える
(五) 良識を殺し、個人の正義感を党の利益に服従させる
(六)「愛国主義」とは、人民を緊急総動員するための邪教の号令である
(七)厚顔無恥にも国家を党の下におき、人民に賊を父と呼ばせる
(八)名誉回復というトリックで罪を「偉業」に変えてしまう
六 無頼の本性の大暴露:「真・善・忍」を国家テロとして抹殺
七 「中国的」な無頼の社会主義
(一)変転極まりなく、密かに悪事を働く
(二)「中国的」な無頼漢政党
(三)国家の無頼化、中華民族は空前の道徳危機に直面している
結び
「江山は改め易く、本性は移し難し」。[8] 歴史が証明する通り、中共が手枷足枷を緩めるのは、別に鎖を捨ててしまうことを意味しているわけではない。前世紀60年代初めの大飢饉の後、「三自一包」[9]なるもので農業生産を回復したが、それは中共に農民の「農奴」的地位を改めようとする意図があった訳ではない。80年代の「自由化」と「経済改革」も、1989年の人民虐殺にいささかの影響を与えるものではなかった。今後とも、中共が何か表面的なことを変えたとしても、無頼漢としての本性を改めることなどあり得ないのである。
状況がすっかり変わり、この党は昔の党とは違うと感じ、目の前にある偽りの姿に満足し、さらには共産党が改善された、あるいは改善されつつある、あるいは改善しようとしているというような誤った認識を持つことによって過去の記憶が絶えず薄れていけば、中共無頼漢集団に、存続し続け、人類に害を及ぼすチャンスを与えることになる。
共産党は、人々に「忘れさせる」ためにあらゆる努力をし、人々は、何とかして「覚えておく」ためにあれこれとあがくのである。
事実、共産党の歴史は人民の記憶を断ち切る歴史であり、後の世代が前の世代の真相を知らされていない歴史であり、億万の人民が過去の共産党に対する呪いと現実の共産党に対する期待という巨大な矛盾の中に生き、苦難を経験してきた歴史である。
共産主義という邪霊が人の世に下りてきて、共産党が無頼の一揆と無頼の革命で政権を奪い、この世に足場を定めて以来、血生臭い暴政で、「党という憑き物」による専制社会を打ち立て維持してきた。自然に反し、天理に背き、人間性に反し、宇宙にも反する、いわゆる「闘争」精神によって、人類の良識と善意を破壊し、伝統文明と道徳観念を壊滅させ、血生臭い虐殺と強制洗脳で全国民を狂わせるような共産邪教の統一国家を作り出したのである。共産党の歴史の中で、赤色恐怖が頂点に達した狂乱の時期も、滅亡しそうになり荒野へ落ち延びた時期もあった。しかし、共産党は、そのたびに、無頼の手口で逃れ、人民を愚弄し続けては、次なる狂乱へと向かうのであった。
人々が皆共産党の無頼としての本性を認識し、その欺きに騙されなくなった時が、中共とその無頼の本性が終焉を迎える時である。
中国5千年の歴史に比べれば、中共による50数年の統治はあっという間のできごとである。中共の存在しない時代に、中国は人類史上に残る輝かしい文明を創造した。中国の内憂外患という機に乗じて居座った中共が、中華民族に巨大な災難を与えた。この災難によって、中国人は、数千万人の生命と無数の家庭の破壊という代価を支払わされ、民族の生存に欠かせない生態資源をも犠牲にしたばかりでなく、更に重大なことは、民族の道徳資源と優れた文化伝統がことごとく破壊されたのである。
中国の未来はどうなるのであろうか。中国はどこへ向かうのだろうか。こういった重要な問題は、複雑で一言で述べるのは甚だ難しい。ただ、一つだけはっきりしていることは、中華民族の道徳を建て直し、人と自然の関係を改めてはっきりと認識し、人と人が和やかに共存するための信仰と文化を取り戻すということがなければ、中華民族に輝かしい未来はあり得ない。
中共の数十年に及ぶ弾圧と洗脳によって、その思考方式と善悪の基準が中国人の生命の深層にまで入り込んでしまった結果、人々はある程度その歪んだ理論を受け入れ、認めてしまい、さらにはその一部分となって、中共にその存在意識形態の基礎を提供しているのである。
生命の中から、中共に注ぎ込まれた一切の邪説を取り除き、全ての悪を揃えている中共の本質を明らかにし、人間性と良識を取り戻すことが、共産党のない社会に穏やかに移行するために必須の道であり、その第一歩なのである。
その道が平坦で穏やかであるかどうかは、中国人一人ひとりの内心の変化にかかっている。中共は、表面上は一切の国家資源と暴力機器を持っているが、各人が真理の力を信じ、道徳を重んじるならば、中共という邪霊は身を置く場所を失い、一切の資源は、瞬時にして正義の手に戻るかもしれない。それは、中華民族再生の時でもあるのだ。
中国共産党がなければ、新たな中国が生まれる。
中国共産党がなければ、中国には希望が生まれる。
中国共産党がなければ、正義を重んじる善良な中国人民が必ずや再び歴史に輝きをもたらす。
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